ぶぶ色性格のうつ病やみ
わたしと都子さんは、毎日お互いに、「好き」をたくさん言います。
一日に何回言うの!?てくらい、たくさんたくさん言います。
「大好きだよ」て言われたら「わたしも大好き」と答えるのですが、偶に「こんなのの、どこが好きなん?」とひねくれるときがあります。
もうすでに面倒くさい。
でも、都子さんは穏やかに言いきかせてくれます。
「顔が好き。眼が大きくて、鼻のかたちが理想的。もさもさの眉毛に憧れる。ほっぺたがふっくらしてきてうれしい」顔をもちもちしながら言って「でも、性格も好きだよ」。
「わたしの性格なんか、ぶぶ色じゃん」「ぶぶ色ってなに?」「ど汚い色。性格ぶぶ色」
「るかの性格は、濁ってるけど、よく見ると澄んでるよ」
これです。こんな言われたらメロメロになる。
だって、むやみに「濁ってる」というところを否定せず、「だけど、よく見ると」澄んでいるって言ってくれるの、うれしい。
「それに、るかのことは一生私が面倒みるって決めてるからね」
最後にそうしめくくって、抱きしめてくれます。
わたしはメンタルを病んでいて、入退院を繰りかえし、自宅に帰ってきてもできないことが多く、都子さんに面倒をかけてばかりいます。
比喩でも大げさでもなく、ほんとうに面倒な人間なのです。
それでも、17年という長い年月、都子さんはわたしの面倒を、ほんとうに面倒くさい面倒を、みてくれているという実績があります。
「うつ病持ってる人とは結婚するな」
「『うつ病持ってる人とは結婚するな』みたいな意見を見て、ちょっと、しょんぼりした」
そう言うと、都子さんはいつもどおり、淡々と言ってくれます。
「覚悟はいるよ。この人の面倒を一生見る、て覚悟をしないと、結婚なんてできない」
「なんで、そんな覚悟決められたの?」
「私は誰にでも平等に優しくなんかできないから。一人だけにしか、情を傾けられない」
「それって、わたしじゃなくてもよくない?」
「るかのことを幸せにしたいと思った。自分で物語を生みだせて、それを小説として表現できる、更にそれを発表できる気概を持っているのに、ぐずぐずと落ちこんで、どうしようもない醜態を曝しているのを見たら、私が幸せにしてやる、て思った」
人の心はわからない。都子さんが説明してくれても、わたしにはぴんとこない。
わたしだったら。わたしみたいに面倒くさい人間を、幸せにしたいとは思わない。距離とるよ。わからないなあ…と首を傾げていたら、都子さんが頭を撫でてくれます。背中を撫でて、よしよしと抱きしめてくれます。
そしたらもう、幸せで。
おとなしくなったわたしに、都子さんは笑うのです。
「るかは、ちょろいよね」
ちょろくていい! 理解できなくても、都子さんがわたしに優しくしてくれて、わたしを幸せにしてきた実績は覆らない。
ぶぶ色性格のわたしでも、だから、都子さんのことを、心から信じて、今日も病に立ち向かってゆけるのです。